東亜子の殺害事件後、お目にかかったサイディンスッテカー氏は「日本の戸籍、あれはでたらめです」と言われた。私も、今、強くそう思う。
若いころから、ラッキーの二女として私の戸籍上の妹になっていた女性は私と違って自分がどこから来たか知っていた。彼女は「戸籍は物語で、名前はシャッポのようなものだ」と、よく言っていた。
今更ながら、至言だとおもう。
昭和46年も暮れのことだった。家内と一緒になる直前であった。ラッキーは「千葉の県民会館で、不動産講座をやるから、聞きに来ないか」というので、二人で出かけた。
そこでの講師として、34.5歳の男性が登壇して、話していた。内容はよく覚えていないないが、確か、建蔽率のことなど話していた。家内はその講師のことを「白人の混血のような色をしていたけれど、お義父さんとは、どういう関係なの?」と、聞いてきた。
私どもは家内の車で行っていた。車を駐車場からだして、ふと、みるとラッキーと件の講師が親しそうにしてでてきたろころだった。運転していたのは家内だったが、「同じ方向だから、誘ったら?」というので、「乗っていきませんか?」というと、ラッキーは慌てたように、手を振って「いやいい」という、その時に件の講師に紹介するでもなく、挨拶するのでもなかった。
私も何だろうと思ったが、わかるわけがない。その後、ラッキーに聞いたか記憶にないが、聞いても、答えなかったようだ。
それから、ほぼ20年後、東亜子が殺害されて、福迫雷太が逮捕されて、犯人引き渡し協定により、東京高等裁判所で審判が行われることになった。
報道陣が多数いて、傍聴者には整理券が出されていたが、遺族なので、並ぶ必要がなかった。
ふと見ると、あの20年前のあの不動産講座の講師が、今思うと、奥さんと一緒にいる。彼も千葉の県民会館でのことを覚えていたのだろう。私が藤田小女姫の遺族であるとわかっていたのか、目をそらす。
審判が始まって・・・
いろいろ審議が進んで、福迫君が証言しました。
「・・・僕と吾郎君はよく似ていて、『双子のようだ』と、よその人に言われていました」との証言でした。
この発言は場所が裁判所です。しかも審判の法廷です。
故藤田吾郎の写真を最初に見たときに「なんとラッキーに似ているのだろ」と思いました。その彼に福迫君は「双子のように似ている」とはどういうことだろうとの疑念が今も消えません。
おそらく、こういうことであろうということは類推できますが…
戸籍はどこの一部でもでたらめであったなら、それは物語です。婚外子とか最近言われていますが、そういうことは戸籍が正しくできたときのことです。