藤田小女姫こと藤田東亜子の名前のいわれは、私どもの実の父が名付けたのだろうと思います。
実の父は労働運動をやっていて、何度か、逮捕されたりしていたようです。いわゆる大東亜共栄圏と騒がれていた頃、中国にわたっていたようです。
母とは単なる芸者とお客ではなくて親戚関係であったそうです。
東亜子の方は大東亜共栄圏からとったようです。
私の洋三は太平洋、大西洋、インド洋の三洋でしょう。
このいわれをラッキーは自分が考えたようにいつも話していましたが、そいういうことの思いつくような男ではなかった。
東亜子は亡き後、この事を知りました。東亜子の写真にもかなり残されています。東亜子もこの父の友人たちのおかげで、世に知られるところとなったのでしょう。
しかしながら、当時、母は日本人と言えば大概の方が知っていると言わる方の後沿いになっておりました。その方にご迷惑をかけてはとの思いから、辛らかったでしょう。