と言う言葉は多数を意味します。
ちょうちんは私ども(私と家内)に向かって、何度もこう言いました。「あんたら!ラッキーさんには気をつけた方がいいよ。何人子どもがいるかわからないんだから……借金を残されるよ!」
結論から言います。
東亜子を惨殺した犯人は,このちょうちんが言う「何人いるかわからないほどのこどもたち」がやったと私は思っています。
このこどもたちはほとんど母親は違うでしょう。別々の母親から生まれた子ども同士は非常に仲が悪いのです。
母親達の代理戦争をこどもたちがやっている。そんな具合でした。
ラッキーが福岡から東京に出てきたときは第一の妻が蒲田で所帯を持っていました。もちろん、ラッキーとではありません。子どもが何人かいました。
第一の妻とラッキーとは一回り以上違います。もちろん、ラッキーの方が年下です。私の母親になっているちょうちんとは第一妻の長女と同い年です。
このことを東亜子の事件の後,私は電話で第一妻の長女言いました。
ラッキーも第一妻も容姿は白人でした。
その後、ラッキーが明治鉱業の庶務課でクラブつまり会社専属の保養所の開設するのですが、高田協業所は貝島炭鉱と合併したので、その用意のためにラッキー達は採用されたようです。
何はなくても、保養所をと言うのでしょうね。
女性を集めて、作業員のための保養所を作って、開坑を待ったのでしょうが、このころから、ラッキーが沢山のこどもたちを作ることになります。
子どもが出来たからと言ってラッキーは責任を取るような男ではなかった。産業廃棄物のように捨て去った。
ところが、母親は一生懸命子を育てた。
このこどもたちは戸籍のないのが沢山いたし、どこかの戸籍に入れ込んだのもいた。それと、母親の親族の戸籍に入れたのもいたようだ。
このこどもたちは母親に「あなたの父親はラッキーさんよ」と言い聞かされて育った。
戦後になり、こどもたちも大きくなって、東亜子が藤田小女姫として,活躍している姿を見て、大勢の彼ら、彼女らは東亜子の周りを徘徊した。
ラッキーの戸籍にはラッキーの子は誰一人として入れてないのに、私どもを入れていた理由はいろいろあるでしょうが、私の推測では日本人の容姿であったのも一つでだったでしょう。
特に私は祖父とよく似ていると四国の親戚のかたが言います。
沢山のラッキーのこどもたちは仕事を持たなかったので、生活が成り立たない。そして、目に付けたのが際立つ資産と収入を持つ東亜子であった。
別々の女性から生まれた沢山のこどもたちはそれぞれに東亜子に,悪く言えば「集る」生活をした。それぞれ反目していたので、「あいつの方が多い」とかいがみ合ったでしょう。
数多いたかりの人間はラッキーの子どものみならず、子どもの子どもつまり、孫も含まれるようになっていった。
こんな状態だったようです。東亜子の金がつきたときが惨殺だったのです。
亡くなった吾郎も獄にいる福迫君もこの一員であることは確かでしょう。
おぞましい事件です。ある方は言います「日本の恥部です」と、・・・・
全ては嘘の戸籍から発生しているのです。