さるブログで「もし、もどれるなら」という表題があったので、私ももどれることならという思いがあります。
東亞子は「有楽サウナ事件」のあと、ハワイに行きます。
そして、ラッキーの第一妻では戸籍上、母親になっていて、昭和20年、3月、小学校入学寸前に戸畑から、東京の「しんせつなおばさん」に引き渡され、冬の秋田に連れて行かれました。
その第一妻をハワイに連れて行ってどうしたのか・・・・
このことをちょうちんはどこから聞いてくるのか。私どもの耳にも入りました。
「あっちはひどいみたいよ!!」という。そのとき、私は「あっちってどっちだ?」思っていました。
今、痛恨の思いです。
私は若年失策。中年苦闘、老年悔悟の人生だと若い頃から思っていて、この言葉をよく口にしていました。まさにこの言葉のようです。
東亞子は、ハワイで、第一妻に暴力を振るっていたそうです。まわりのお手伝いさんなどによると、「なんで、先生は、あんなにおかあさんんおことをなぐるのでしょうね?」と、不思議がっていたそうです。
私の悔悟は、ラッキーを私が羽交い締めにして,東亞子に思いっきり殴らせてやらなかったことです。
本当に人生って悔悟ですね。