数日前から、誘拐された女子中学生が公衆電話から助けを求めたニュースが流れています。
このことで、女子中学生が2年間、大学生のアパートに監禁されていたとのことで、同じアパートの住人たちはしらなかったか?ないしは中学生は声を出さなかったか?との疑問が発せられています。
件のアパートは、私も近くを通りかかったこともありますが、普通のアパートです。
東亜子が笹栗の炭住に監禁されていたことを、事件後、篠栗でいろいろ当時の方々に聞きました。
それによると・・・
高台にある炭住で、小学校入学前の東亜子が窓から見えても一歩も外に出たことはなかった。声をかけるということもできなかったそうです。そのうちに、ラッキーと第一妻は小倉に転勤になり、引っ越していった。
小倉と言えば私どもの実祖父母が住んでいた戸畑とは至近距離であった。祖父母に発見sなれる恐れを抱いた第一妻は上京して、東京江戸川沿いの「親切なおばさん」に借金の形にいわば売ってしまったのである。
戦争が終わって、再び、篠栗の炭住に帰ってきたラッキーは第二妻であるちょうちんと私を連れてきた。
このことを明治鉱業の社員たちは・・・
・・・・女の子だったのに、子供は男の子になってしまって、年も小さくなった。・・・と言って、笑いあっていたそうです。
おまけに・・・
・・・奥さんも新しくって・・・と笑っていたそうです。
だからと言って、警察に届けるとかはしなかった。関わり合いになるのがいやであったのだろう。
後年、東亜子がマスコミに登場するようになったとき、「あそこの社宅にいた女の子が、こんなになったのだね」と、驚いたそうです。
誘拐ってこんなふうに成立するのですね。