私が東亞子の養子がいると知ったのは、亡くなった吾郎が10歳か11歳の頃だった。週刊誌に出ていた。
無責任にも吾郎は政商と言われた某財界人と東亞子の子ではないかと予想していた。このことで、東亞子は大変な迷惑を被った。この週刊誌のことについてこの財界人は東亞子を詰問した。
東亞子とて、吾郎が養子に入ったことすら知らなかったと思う。というのは愛知県の田舎町で生まれたことになっている吾郎を知るよしもなかっただろう。
私は事件後、この吾郎が生まれた場所である愛知県の田舎町を訪ねて、吾郎が生まれた様子を聞きに行った。
「20年ほど前、△△さん方で、男の子が生まれたでしょうか?」
「△△さんはのところの息子さんは、もう、40歳すぎで、一人しかいませんよ。それに△△さんは、もう、おばあさんですよ。若い男の子がいるわけはないでしょう」
と、一様に皆さんがいわれる。
それと、週刊誌に出ていたときに丁度我が家にやってきた私の戸籍上の父?ラッキーに問いただした。
「この間、週刊誌に東亞子のところに養子がいるって、あれなんなんだ?」
「・・・・ ・・・・ ・・・ ・・・」
ラッキーはうつむいてただ黙っている。
私もかなりしつこく聞いたが、黙っている。
長い間、黙っていて、仕舞いにはうつむいて泣きそうになる。
事件の後、東亞子の周りには、「吾郎」と言う名の男の子で、亡くなった吾郎と同じ年齢で、同じ学校に行っていたのが、もう、一人いると知った。