今日、8月9日は長崎の原爆記念日です。
昭和23年、2月、福岡県小倉市で餓死した祖母は、我が子を除いて、私が接した最後の肉親です。
私どもの母は長崎の芸者でした。このことを私は東亞子がハワイで殺害されてから知りました。
でも、祖母と一緒だった小倉の社宅でのことをいつも思いだしていました。
祖母は今で言う脳梗塞で、足が不自由でした。よく、障子に掴まって、歩行練習をしていました。小倉の社宅に来てから、食事はなかったようだ。
「よくなったら、ここに連れて行ってあけるからな・・・」と言って、アルバムの写真を指さしていました。そこは長崎の眼鏡橋でした。
母はそこから丸山の花街に通っていたようだった。祖母はもちろんみんなでよく出かけたことを聞いたのも東亞子がなくなってからだった。
東亞子も私もそこでうまれたようだ。
祖母の実家を尋ねたら、ご近所の方も皆さんがおしゃるには、祖母はたいそうな美人であったそうです。人の美醜はほんとの主観ですから、どうでもいいのですが・・・
5才であった祖母が、一緒の寝床で、語った最後の言葉は彼女の遺言だと思っています。
それから、20年以上経ち、私が結婚するので、ラッキーに妻を紹介した。そのとき、ラッキーはこんなことを言い始めた。
「ばあさんは、美人であったが、じいさんは醜男であった」と、・・・
ラッキーはいつも私に「人間は見てくれはどうでも良いのだ」と、言って容姿に気をとられるなと言っていた。
このときのことを妻はよく覚えていて「お義父さんは、自分が醜男なのはおじいちゃんに似たと言いたかったのね」
今思うと、ラッキーが祖父の写真を誰にも見せずに廃棄していたのは、こんな嘘を吐くためだったのか・・・
先年、祖母の言っていた長崎・眼鏡橋近くに行ってきました。検番がいまでもありました。丸山も行きました。
祖母と東亞子と一緒に行きたかったです。
人は飲まず食わずだと何日くらい生きるのでしょうか?
私は5才だったので数の概念がなく、一緒にいたのは何日くらいだったかわかりません。