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Channel: 平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に
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空襲

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 お盆休みの帰省で、Uターンラッシュが続いているようですね。

 70年前、終戦の2,3ヶ月前に祖父母は徳島県の祖母の実家に身を寄せました。祖母も祖父も剣山系・平家の落人部落の出身でした。
 
 ハワイでの事件の後、私は、ここに何度か行ってきました。祖父母の様子を聞きたかったからです。山は峻険で、自分の車は駅に置かせて頂き、タクシーで行きました。
話によると、何度も車ごと落輪して谷に落ちる車両が後を絶たないそうです。

 この山深いところに祖父母は、なぜ行ったのか?と言う疑問があった。ただ、疎開していたと言うことしか判らなかった。

 実の母には兄がいた。つまり、私にとって伯父である。伯父の子たちは私とは従兄弟同士である。その一人は東亞子と同い年で、一緒に遊んだ記憶があるとのことだった。
 その従兄弟達は祖父母と同居していた。そして、東亞子とも一緒に遊んでいた。従兄弟は輪つぃの疑問に答えてくれた。
 「原爆投下の候補地に小倉があったことを覚えているでしょう。八幡製鉄所があるので、空襲が酷くて、みんな疎開させられたの・・・私たちは母の故郷の大分だった。みんな別れ別れになちゃった」

 そして、終戦を徳島で迎えた祖父母は、翌年2月、下山して、戸畑の家について見た物は不逞の輩に占拠されてた家だった。

 徳島に行く前に東亞子がラッキーの第一妻に連れ去られた。その時には、祖父が追っ手をかけたようだった。東亞子の本にはその様子が書かれていた。

 もう、70年になるのですね。
 

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