事件が起きて、東亜この様子を何も知らない私は、彼女がどんな生活をしていたか知ろうと思って、できるだけ東亜子の近くにいた人々に話を伺うことにした。
近くというと、秘書の方、お手伝いさん、ご近所、の方々です。マスコミ関係者とか、仕事関係などは緊張したなにかがあるので、それは表として、日常の生活を知りたかったのです。
それと、吾郎を知る人を探しました。
まず、東亞子と吾郎はどうだったのか?
ある方は・・・・・・・「最初、テレビで先生(東亞子のことを皆さんこう呼んでいました)が、殺されたと聞いて、誰がやったかというは、一番最初に思い浮かべたのは吾郎ちゃんでした。でも、ちょっとしたら、吾郎ちゃんも殺されていて、違うのだなって思いました。
いつも・・・ね。吾郎ちゃんは先生に暴力を振るっていて大変でした。それに暴れて、もう、見ていられませんでした」・・・・と、
「どんな理由で、暴力を振るうのですか?」
「理由はよくわからなかったのですが、成城の家には、漫画がたくさんあったでしょう」
「えぇ・・・大きな段ボール箱に何箱もありました。捨てるのに大変です」
「あれなんかも、先生は嫌がっていました。それとお金のことなんかも・・・あったんんでは??」
吾郎は小さい頃から、学校はほとんど行かなかったようです。学校から父兄である東亞子に何度も何度も呼び出し状などが来ていた。
小学校はどこに行ったか知らないが、吾郎はほとんど、名古屋の別荘で過ごしていたようだ。別荘の荷物を取りに行ったら、別荘の近所の方が、「吾郎さんとなにかお母さんみたいな方と一緒に住んでおられました」と、いわれた。だから、学校から成城の家に呼び出し状が来ても、誰も無視したのでしょう。
東亞子に暴力を振るっていたのはかなり、大きくなってから、21歳で死ぬまでの間であったと思う。
前記事に書いたようにNSXとアキュラなど、高額なスポーツカーなど、無職で無収入なのに買い与えるということは吾郎の暴力の果てであったのか?
それから、吾郎が私の近くの全寮制の中学校に入ったが1ヶ月ほどでやめているのを知ったので、この学校に問い合わせたが、ご返事いただけませんでした。