平成6年2月23日(ハワイ時間) 藤田小女姫こと藤田東亜子がハワイ・ホノルルの自宅で、殺害された。この時の私の思っていた身分関係は、藤田ラッキーを父として母を東亜子は第一妻で私と二女、三女を第二妻であるちょうちんを母として、四女は第三妻を母とした戸籍通りに信じていた。
ちょうちんが死んで、3か月ちょっとの事件直後、長く過ごした東京の家の近隣で、ちょうちんが話していたことを聞きまわった。
「ちょうちんさんは、我々のことを何か言っていませんでしたか?」と言って聞きまわった。
「あの人とは、よく、お風呂屋さんで一緒だったんだけれど、・・・こう言っていたわぁ・・・お兄ちゃんやお姉ちゃんは私の子ではないけれど○○子(三女)だけは私の子なのよって、みんなに言っていたわぁ・・・な! で、○○子の父親だという人が、よく、お宅に来ていたよ。2,3日前もうろうろしてたよ。隣にいたおばあちゃんにも聞きに行ってみようよ」と、言って、隣のおばあちゃんのところに行った。
連れて行ってくれた人が 「なっ!ちょうちんさんは、いつも、お兄ちゃんは違うけれど、○○子だけは自分の子だと言っていたわなぁ…」というと、
となりのおばあちゃんは曲がった腰をさらに折、笑い転げる。
そして、 「おにいちゃんは人がいいから・・・」と、言いつつ笑っている。
≪人がいいのは、 馬鹿のうち≫と、いうように私は馬鹿でした。
車で行ったのですが、帰途、どう、走ったか記憶にありませんでした。このことを言ってくれたおばあさんたちは私の第二の母です。
この時より、私は自分の身分を調べるために祖父母の故郷、明治鉱業・高田鉱業所などに行って聞きまわった。
東亜子もそうですが、祖父の実家、祖母の実家はいずれも何度も火をかけられていた。
特に、祖母の実家は当主が祖母の兄の孫であったが、≪俺の代になってからも、三回も放火された。母屋はあっちにあったんだよ≫と、
祖父の実家では≪白壁の塀を回した大きな家だったのに、火をつけられて・・・山の上は水が不便だから、こっちに来た≫と、
東亜子は世に言う≪有楽サウナ事件≫で、死者を出し、名義だけの経営者であった東亜子が経営責任を問われて、有罪になった。これも放火のうわさが絶えなかった。
不思議なことに有楽サウナ事件のことについて三女は目撃したと喜々として話す。
そして、最後のハワイ・ホノルル・自宅コンドミニアムで、殺害されたうえ放火されている。