私が所帯を持ってから、ちょうちんが我が家に電話してきたのは3度だけであった。
最初は三女(ちょうちんの実の娘)の夫をただき出した後、いやがらせの電話だったのか、まだ、幼児であった娘が出た後、泣き出した。
何を言われたか聞いても「ダディちゃんのことを・・・」というだけで、泣いていた。
二度目は、ケチだったちょうちんが、珍しく米をくれた。その時はコメが不作の年で臭素米などの話題が出ていたころだった。
その米を家内が研ぐときに、異物が混入していて、米と分離しようにも比重が同じなので分離できないから、「どうしよう」ということになった。私どもの世代は食べ物を捨てるということはできない世代だったと思うし、私は飢餓のl子供時代を送っていたからなおさらだった。
それで、飼っていた番いの犬に野菜とガラを混ぜて、圧力なべで煮て、やった。
2,3日したら、メスの方の犬が朝の散歩のときに急死した。犬といってもコリー犬であったので、1度の食事でかなりの量を食べる。それを2頭にやっていたから、かなり食べた。
メスが急死してから、オスのほうは食事をしなくなった。私(のみならず我が家全部)は、まさか、ちょうちんからの米が原因であったとは思わなかった。
そして、オスの方もメスが死んでから2,3日後に亡くなった。
米が来てから、10日ほどした頃、ちょうちんから電話があった。
「珍しいではない?なにか??」というと、
「この頃、何にも連絡がないから、どうしたのかと思って・・・ガス中毒でみんな死んでいるのではと思ったから…」という。
いつもちょうちんとは連絡を取っていたのではないし、こちらから、江戸川の家に行っていたので、たかが10日くらい連絡がないからといってガス中毒と考えるのは、何か理由があったのだろう。
そして、三度目の電話、2度目の電話があってから、10年以上は経っていた。
「癌になったみたいで、どうしよう。○○ちゃん(三女)に言っても、なんだかんだ言って、なんにもしてくれない。どうしようかと思って・・・」
「どういうこと?なんで癌だとわかったの?」
「いつもの行きつけの先生が、癌かもしれないから、癌センターみたいな癌専門の病院でみてもらいなさいというのよ。○○ちゃんも▼▼ちゃん(二女)も自分でなんとかしなさいというようで・・・」
「わかった。じゃあ、いろいろ当たってみるから、待ってて」と言って電話を切った。
その時、正直、「我が家の敷居は高いはずなのに、よく電話してこられるよ」と思った。
家内に言うと「しょうがないじゃない。早急になんとかしなければいけないから、今日は仕事をキャンセルして、なんとかしようよ」と、
それで、その日のうちにさるがんセンタいーに行くことで、話がついた。
ちょうちんから電話があってから3日後日に入院ということになった。入院が決まるとあれほどそっけなかった三女がやってきて、なにやらやっていた。
入院の前日に私は江戸川の家に行って、翌日の入院に備えて、泊まり込んだ。
こうして、癌センターに入院した。その後、病院に見舞いに行くのは私の家族だけであった。
清拭のとき、娘がちょうど見舞いに行った時だった。
看護師さんが「あら、お孫さん?いいわね。やってもらって・・・」とちょうちんに言った。
ちょうちんは「○○ちゃんが来るから、○○ちゃんにふいてもらうから・・・」と言って、タオルを自分で持っている。それを見た看護師さんが「あら、・・・早くしないと冷めちゃうわよ」といってもタオルを握って離さない。
当たり前のことだが、 私の娘はちょうちんには似ても似つかぬ容姿だ。娘は子供のころから、ちょうちんのことを「あの方、私のおばあちゃんではないよね」と言っていた。
わかっていても、人としてやることであろうから、ちょうちんを見舞っていた。
ところが、ちょうちんの方はますます私の実の母に似てくる娘に対して逃げ回っていたのだった。
最初に入った病室は数人の患者がいた。そのなかでも、病状の軽微な患者とそうでない患者がいて、何かにつけ摩擦があったようだ。
病院側も知っていたのだろう。個室に移ることを勧められたので、私は即承諾した。新しい病室を見に行く時に、私たちを変な眼で見ていた。
私は知らなかったが、個室に移るときに看護師さんに、何かあったら、ここに連絡してくれるようにと、三女だけの電話番号を書いた紙を渡していたそうだ。
個室に移ったその晩であった。
ちょうちんは体につけていた医療機器を勝手に外して庭に面した病室を狂ったように激しく歩き回ったそうだ。
もちろん、病院の方は紙に書かれた連絡先に電話した。
三女は「わかりました。明日行きます」というものの、結局、行かなかった。
ちょうちんは荒れ狂って、医療機器を外す、の繰り返しであったようだ。
私のところに二女から連絡があったのは一日経っていた。
それから、4ヶ月半経って、東亜子の事件であった。ちょうちんの死から1ヶ月後、東亜子と吾郎にかけられたた生命保険が増額されていた。偶然だろうか?