東亜子は、戸畑の祖父母の家から,ラッキーの第一妻にさらわれ、飯塚のゴンゾウ小屋、篠栗、小倉の明治鉱業社宅を経て,東京江戸川の吉原関係者である自称[親切なおばさん]に引き渡されるまでの凄惨な生活は、生涯忘れることはなかったと思う。
自称親切なおばさんは、まず、「戸籍はすんだのね」と確認したそうだ。戸籍さえそろえば、なんとでもなったのでしょう。
そうやって、ラッキーと第一妻は,小学校入学寸前の東亜子を借金の形にした。
私は事件後、第一妻の長男に会った。第一妻の長男は小学校の上級生の時にラッキーと第一妻が仲良くなり、その長男を残して、年上だった彼の姉を飯塚に売って、先に九州に行っていたラッキーの後を追った。
そして、いくらもしないで、東亜子を連れて東京に来て、借金を清算した。
そのことについて、第一妻の長男は「コトトメさんを、なんでも、九州の小倉とか戸畑とか から、連れてきたみたいです」と、私に平然という。
私はそれって、立派な人さらいだと思ったが、彼は悪びれる様子さえない。
小学校高学年の長男を残して、一回り年下のラッキーの後を追いかけて行った母親のことを「私はラッキーさんのことを恨んではいない」という。つまり、連れて行ってくれてありがとうということだろう。
東亜子はこのこと生涯の遺恨として,忘れることはなかった。
世に言う「有楽サウナ」事件の後、
東亜子をひいきにしてくれていた財界人がいた。ホテル王ともいわれ、ハワイの観光開発を手がけていた。
その財界人にハワイのコンドミニアムを贈与された。そこに第一妻を住まわせた。
東亜子はいつもは日本に住んでいたが、時々,出かけた。
ハワイでの生活で、お手伝いさんなどが目撃したことは・・・・
なにかというと、70歳過ぎの第一妻に暴力を振るうことであった。
このことは、皆さん不思議がっておられたが、私はさもあろうと思った。それにこの話はどういう経路で伝わった不思議であったのだが、提灯も知っていて、しきりにおびえていたし、「あっちは酷いみたいよ」と言っていたが、私はあっちってどっちなのだと思って,深く考えなかった。
日本にいては遺恨が晴らせなかった東亜子がマスコミがいないハワイで第一妻に暴力を振るったことだということなのだろう。
事件後、どんな風な暴力なのかは詳しく知った。
しかし、第一妻は東亜子に殴られることで心が落ち着いたのではないかと思う。
というのは、私をさらったラッキーと提灯は最後は二人とも自殺であった。
自殺であったからと言って,私は許すことは出来ない。生きて,自分たちのしたことを話さなければ、それは人間ではないと思っているから・・・