最近、テレビドラマで土下座が流行っていたそうですね。あまり、ドラマは見ないので、どういう内容だかわかりませんでが、その語感からして、ろくなこと」ではないと想像しています。
昭和30年、北九州の炭住から、東京の江戸川沿いに引っ越してきた。そのころ、ラッキーは第3妻となる女性のところに住んでいた。後で聞くと、ラッキーが押しかけていったようだ。
だから、江戸川沿いの家にはほとんど、寄りつかなかった。おまけに、ラッキーは今で言う探偵事務所のような看板を掲げていた、そこの事務員とも懇ろになっていた。
私が小学校の6年で、二女が小学校4年くらい(どこかか連れてきたので、年齢はさだjかではない)であった。三女はちょうちんの実子だったので、いつもちょうちんが連れ歩いていた。
私と二女は学校に行く年齢であったが、学校には行っていなかった。
最近では子供の置き去りだとか、虐待だとかが流行っているようですが、ラッキーは置き去りも、放置もなんでもやっていた。九州から出てきただけでも心細いのに・・・・
私と二女は、よく、遠くから聞こえてくる列車の音を聞いては、忍び泣きでした。
冬の寒い頃でした。
ある日、ラッキーが珍しく江戸川縁の家にやってくるために、最寄りの国電の駅でおりたところ何者かに襲撃されたということを、ちょうちんは楽しそうに話していた。
それから、数年たった頃だった。私も小学生ではなく、高校生になっていた。ラッキーはいつも喧嘩の話が好きだったから、言い出したのか・・・
「人間は頭を踏んづけられると、参ってしまうのだ」と言い出した。深くはきかなかったが、あの襲撃された夜のことを言っているのだと思った。
誰に襲撃されたのかというと、ちょうちんはが誰かに依頼したのだと思った。近所にさる組の幹部がいた。
そう考えていたところ、その好々爺然とした組幹部の方が「ラッキーさんは我が家にやってきたことがあるんだよ。家の上がりかまちのところから、頭を畳にこすりつけたまま、顔を上げないんだよ。帰りも後ずさりして、そのまま、帰ったよ」と、言う。
「ラッキーが何をしに、こちらにきたんですか?」と、聞くと、
「金を持ってきた。いくら持ってきたかは知らない。ちょうちんさんに渡した」という。
そういうことだろうとは思っていたが、・・・・
つまり、こういうことだと思う。ちょうちんはこの組幹部に頼んで、ラッキーを襲撃してもらい、雨漏りしていた家の新築代金を出させた。
ラッキーとて、この組幹部が襲撃すると言うことは、大変のことだとすぐにわかって、いわゆる土下座をすぐにしたのだろう。しかし、それではすまなかった。私に「頭を踏んづけられる云々・・・」は、そのときのことだろう。
この家の新築代金は、東亜子がいつも言っていた「私の人生なかった。私の青春なかった」という言葉をいわしめる元になったのだと、私は強く思っている。
そのあとのことは、亡吾郎のことに続く。
土下座などという言葉が流行っているのは良い世相ではないですね。