いろいろあったが、私の念願だったわが子の小学校入学を自分の家から通わせるという目標を達成できたの
で、子供の入学式には一家三人で出席した。
ここで、思い出すのは私自身、戸籍上の親であるラッキーやちょうちんが私の入学式や父兄参観などには来た
ことがなかった。それどころか、結婚式など他人が集まる場所には二人とも出てきたことはなかった。
ラッキーもちょうちんも私とは似ても似つかぬ容貌をしていたから・・・・
ラッキーが私を攫った一番の理由は、私が祖父に似ていたことだろう。
ラッキーは、どう見ても私の祖父の「ゲン」さんの子ではないのは一目瞭然だった。
東亜子の死後、私は四国の藤田関係を戸籍謄本や、除籍謄本の資料を入手して、くまなく調べた。そして、こち
らの資料も全部持って、尋ね歩いた。
四国に行くと自分によく似た方たちが多かったし、祖父のこともよく知っていた。
驚いたことに母もそうであるが、母の兄(私にとって伯父にあたる)がよく四国の本家に来ていたことや祖母の実
家で生活していたことまで、話してくれました。
私も50歳を超えて、祖父の年齢に近くなっていた。「ゲン叔父は、ようあんたに似っとったわぁ~」と、
そうなのだ。ラッキーが私を攫った最大の理由は私が祖父に似ていることだったのだ。
明治鉱業の社宅にいるときに、他の大人たちは公然と私がラッキーやちょうちんの子ではないと言っていたそう
だ。見れば人種が違うほど似ていないのに私は気にしていなかった。
ラッキーは大人であるから、気になったであろうから、父兄参観や入学式にも出てこなかったのだ。
まして、結婚式など・・・
我が家が引っ越して一か月も経たない頃、子供が学校から帰ってくると、玄関の前にちょうちんがいて、鍵っこ
だった娘が玄関のカギを開けると同時にちょうちんが我が物顔で入ってきて、家の中を阿智kポチ何か探していた
そうだ。
そのことを、娘は「××のおばあぁ・・に、もう、来ないように言って・・・だってね家の仲やダディちゃん(私のこと)
の机や本棚をひっくり返したり、がちゃがちゃといじっているんだから・・・」
「もうすぐ、みんな帰ってくるから、みんなと一緒に何か食べようよ・・・って、言ったら、何って言ったと思う?」
「なって言ったの?わかんないよ。・・・」
「あの方ね 『そりゃぁ ヤバイ 早く帰らないと・・・駅まで送ってくれる?』っていうのよ。しょうがないから、駅ま
で行くことにしたよ。 途中に ほら、 新しいお墓があるでしょう・・・あsぽこに 土筆が生えていたのよ。そした
ら、あのお墓広いでしょう。もう、夢中になって、土筆を採っているんだよ。随分長い間土筆を採っていたよ」
「そんなに長い間採っていたら、いっぱいにになってだろう?」
「そうだよ。変な手提げを持ってきていたから、それにいれて、持って帰ったよ。もう、あの方。うちに越させない
で、やんなちゃうから・・・家の中はがちゃがちゃいじるし・・・」
このことを、私は叔父に言って、意見を求めた。すると・・・
「洋ちゃん、あの人たちは教育上、あまり、感心しないから‥‥ね。あまり、接触しない方がいいよ」と言う。
接触するなと言われても、困ってしまった。