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Channel: 平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に
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顛末

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 Yは約束通り転居した。
 ところが三女は一緒についていかなかった。
 しかし、ちょうちんはほっとしたのか、大変喜んでいた。
 この状態を戸籍上ちょうちんの弟になっている叔父に言うと、「洋ちゃん、それはまずいよ。何か月もその状態が続くと後で、トラブルが起こるから、できるだけ早く、送っていかないととんでもないことになるから、なんだったら、俺が何とかしてあげるよ。▽▽家(ちょうちんの実家)の女は、騒いでもめたんだから…切ったはったになるよ」という。
 と、言うことで、叔父によろしくお願いした。

 かなり手間取って何か月か経った頃、叔父はやってきて、・・・
 「参ったけれど、なんとか、送っていったよ。あの男もしょうがないけれど、▽▽家の女はみんな無理難題をいうのだから、俺なんかも参ったよ!洋ちゃんもこれからも続くと思っていた方がいいよ。でも、あの男連れて行ったら、そりゃぁ、喜んだよ。あんなに嬉しそうにされて…俺でもたまにはいいことをするだろう…」と言った。

 後に三女にも感謝された。

 



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 このブログで、学生服姿の私の写真を掲示してぽります。あれは空手部の先輩が空手を広めるためにイギリスに行きました。何年か言っておられました。
 無事に帰国した時の帰朝祝いです。
 私は大学四年間、アルバイトと空手に明け暮れました。私の行った学校は空手が盛んでしたし、空手家の先輩は多数おりました。
 なかでも海外にまで知られている名人もおられましたし、その先輩方も時々は後輩の指導にいらしておりました。

 東亜子が殺害された後、成城の本宅にあった厖大写真を整理していたら、胴衣姿の東亜子と並んで座っている世界を股にかけた先輩であり。空手の名人の写真を発見しました。
 明らかに護身術として、空手を習っている様子でした。
 私などその他大勢として、教えていただいているのに、藤田小女姫として、個人教授で、教えていただいているの様子です。

 殺害現場となったハワイの自宅に行くとき、不安があったのかさるジャーナリストに同道を頼んでいたそうです。
 そんな危険な環境にいて、絶えず不安であったのだろうに、警備で糊口をしのいでいる私が何もしてあげられなかったのは辛いです。
 体力があると言っても女性の身で、空手で護身を考えたのですね。
 ラッキーとちょうちんが姉弟の仲を分断して、苦しかったのか、両人とも最後は自殺でしたが、こんな鬼畜のような人間がいるのですね。

 

蛙の子

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 Yと三女の一家は無事にYの会社の近くで一家水入らずで生活が始まった。ちょうちんもほっとしていた。

 三女は私に「あんちゃん!悪かったよう…・こっちに来てから、外で暮らすのはこんなに自由でいいものだとはし

らなかった!なんで、あんなところにこだわったのだろう?」という。

 「そんなことはこっちが聞きたいよ」と思ったが、「まぁ、いろいろ見てみるのもいいからね」と、答えた。

 
 山口 瞳氏の「血族」には、人を攫って本当の親子関係を隠して生きてきても、最初の子供のときまではなんと

か我慢しても、その次の世代になると苦しくて、耐えきれなくなるようだようだという意味のことが書かれているる

が、ちょうちんもラッキーも私に子が出来ると私の子つまり、彼らにとって孫になるのだが、やはり、苦しいものが

あったようだ。

 その前に、私が中学生くらいの時から、ラッキーは「芸者なんていうのは、とんでもないんだから、手足をちょい

ちょ いと動かす8だけで、政財界の大物たちと減らず口をたたいて、ふざけているんだから・・・」と言って、芸者な

どというのは下賤な職業であると、私にしきりに教えていた。別に私は芸者がどうのこうのと思ったことはなかった

し、まして、自分の親が芸者だとは夢にも思っていなかった。

 芸者とは何の仕事をするのか、考えてもいなかった。

 子供が幼稚園の年齢に達した時に、近くの幼稚園の申し込みに外れてしまった。で、しょうがないので、楽器会

社の「音楽教室」に通わせることにした。本人はそれを大変喜んだし、毎日いかなくてもいいので、こちらも楽で

あった。

 ところが、音楽教室の先生が「お宅ではどなたか、音楽をやっているか教えておられる方がいるのでしょうか?

○○子さんも、音楽は好きなようだし、向いていると思うので、本格的にやられてはいかがでしょうか・・・」と、言わ

れて、そんなものかと思っていたら、その音楽教室は楽器会社がやっていたので、当然、その会社のを勧められ

た。
 
 しかし、「そんなに本格的にやった方がいいのかな?」とも、考えて、妻に「そちらでは音楽をやったりするんpが

好きな人がいるか?」と、聞くと、「私も不思議だったのよ。○○子ちゃんは、小さなころから、踊ったり、鳴り物をし

たりするのが、ほんとに好きだったでしょう。私は音痴なのに変だと思っていたのよ。江戸川の方だって、いって

は悪いけれど音痴に近いでしょう」と言う。

 私は自分の子が一芸に秀でることは、うれしかったので、何とか、続けさせてやりたいと思った。

 団地住まいでは無理だし、家を用意すると言っても密集地ではだめだし、家自体も考えねばならなかった。

 それで、今の場所に、ピアノ補強をした家を作ることにした。時間も金もなかったが、なんとか引っ越すことがで

きた。我ながら頑張ったと思う。

 それにしても、人の実親を隠すことの罪の深さは許せないです。

 私の母が芸者であったと、わかった時にわが子は「私も三味線をやっておきたかった」と、

 内装抜きで、家具と言えば大きなピアノだけが目立つ家に引っ越した。

 でも、これがかちょうちんもラッキーも自分たちの犯した罪におののくものとは知らなかった。そして、三女はこの

家を狙った。

土筆

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  いろいろあったが、私の念願だったわが子の小学校入学を自分の家から通わせるという目標を達成できたの

で、子供の入学式には一家三人で出席した。

 ここで、思い出すのは私自身、戸籍上の親であるラッキーやちょうちんが私の入学式や父兄参観などには来た

ことがなかった。それどころか、結婚式など他人が集まる場所には二人とも出てきたことはなかった。

 ラッキーもちょうちんも私とは似ても似つかぬ容貌をしていたから・・・・

 ラッキーが私を攫った一番の理由は、私が祖父に似ていたことだろう。

 ラッキーは、どう見ても私の祖父の「ゲン」さんの子ではないのは一目瞭然だった。

 東亜子の死後、私は四国の藤田関係を戸籍謄本や、除籍謄本の資料を入手して、くまなく調べた。そして、こち

らの資料も全部持って、尋ね歩いた。

 四国に行くと自分によく似た方たちが多かったし、祖父のこともよく知っていた。

 驚いたことに母もそうであるが、母の兄(私にとって伯父にあたる)がよく四国の本家に来ていたことや祖母の実

家で生活していたことまで、話してくれました。

 私も50歳を超えて、祖父の年齢に近くなっていた。「ゲン叔父は、ようあんたに似っとったわぁ~」と、

 そうなのだ。ラッキーが私を攫った最大の理由は私が祖父に似ていることだったのだ。

 明治鉱業の社宅にいるときに、他の大人たちは公然と私がラッキーやちょうちんの子ではないと言っていたそう

だ。見れば人種が違うほど似ていないのに私は気にしていなかった。

 ラッキーは大人であるから、気になったであろうから、父兄参観や入学式にも出てこなかったのだ。

 まして、結婚式など・・・

 
 我が家が引っ越して一か月も経たない頃、子供が学校から帰ってくると、玄関の前にちょうちんがいて、鍵っこ

だった娘が玄関のカギを開けると同時にちょうちんが我が物顔で入ってきて、家の中を阿智kポチ何か探していた

そうだ。

 そのことを、娘は「××のおばあぁ・・に、もう、来ないように言って・・・だってね家の仲やダディちゃん(私のこと)

の机や本棚をひっくり返したり、がちゃがちゃといじっているんだから・・・」  

 「もうすぐ、みんな帰ってくるから、みんなと一緒に何か食べようよ・・・って、言ったら、何って言ったと思う?」

 「なって言ったの?わかんないよ。・・・」

 「あの方ね  『そりゃぁ ヤバイ 早く帰らないと・・・駅まで送ってくれる?』っていうのよ。しょうがないから、駅ま

で行くことにしたよ。 途中に  ほら、 新しいお墓があるでしょう・・・あsぽこに 土筆が生えていたのよ。そした

ら、あのお墓広いでしょう。もう、夢中になって、土筆を採っているんだよ。随分長い間土筆を採っていたよ」

 「そんなに長い間採っていたら、いっぱいにになってだろう?」 

 「そうだよ。変な手提げを持ってきていたから、それにいれて、持って帰ったよ。もう、あの方。うちに越させない

で、やんなちゃうから・・・家の中はがちゃがちゃいじるし・・・」

 このことを、私は叔父に言って、意見を求めた。すると・・・

 「洋ちゃん、あの人たちは教育上、あまり、感心しないから‥‥ね。あまり、接触しない方がいいよ」と言う。

 接触するなと言われても、困ってしまった。

 

 

生命保険

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 ちょうちんは、私が在米中に私の死亡時にちょうちん受け取りの生命保険をかけていた。

 今はどうか知らないが、当時は生命保険に加入するときには被保険者の身体検査が必要だった。私が渡米

中に日本の医療機関で、私が身体検査ができる状況jにはなかった。

 しかし、私には生命保険が掛けられていた。

 ということは私に成りすました同年代の男が私に成り代わって身体検査を受けたか、医療機関が偽の証明

書を出したかであろうと思われる。

 いずれにじても不正が行われたのでしょう。

 今、思うに私に成り代わって身体検査を受けたものがいると思う。つまり、ちょうちんには私と同年代の

いて、彼に代理をさせたのでしょう。その男は私が旅行とかで不在になると江戸川の家にやってきていた。

 日本で大きな航空機事故があったのを見て、ちょうちんが私が死ねば保険金が手にはいると考えたので

しょう。

 私が帰国して、すぐに所帯を持って江戸川の家から出て行った。何か月かして、妻が妊娠した。切迫流産

の危険があって、絶対安静の妻のところにちょうちんが見舞いと称してやってきた。

 見舞いではなく、こういうことだった。

 「お義母さんは酷いよね! こんなトイレに行くのもままならない状態のところに来て、あなたにけけ

ている生命保険の保険料を私に支払えっていうの・・・で、どんな保険なんですか? って、聞くと、呆

れたわ! あなたが被保険者で受取人は誰だと思う?あの義母さんだって!!  普通はね。自分のかけ

て、子供たち受け取りにするのが一般的でしょう。なのに、年下の息子にかけて自分受け取りなのよ。ど

んな感覚をしているの??」

 つまり、ちょうちんは私の命が金に換えられないかといろいろやっていたのだろう・・・・

 『藤田小女姫殺害事件』も、同じ発想からだろうか・・・

江戸川堤

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江戸川堤

 昨日(9月19日)久しぶりに東京方面に行ってきた。

 写真は千葉県と東京の境界になっている江戸川を東京方面から写したものです。

 昭和20年3月頃、東亜子はラッキーの第一妻に攫われて、東京に連れられてきて、ラッキーの借金の形に吉原

関係者に引き渡される直前にここを行きつ戻りつしたそうです。

 私がこの話を聞いたのは東亜子を受け取った本人からです。

 浅草出身で、吉原の女郎屋経営者の娘です。いずれはおかみさんになるべき人です。東亜子が殺害された時

には80歳近くになっておりました。

 私どもが東京に来た時から、お世話になっておりますし、ちょうちんはなにかというと相談に行っていたようで

す。斯く言う私も腹を空かせて昼飯をごちそうになったことは多々あります。

 ラッキーんぽ第一妻が東亜子を福岡から東京に連れてくる様子は東亜子も書いていますが、引き渡されるとこ

ろは書いてありません。おそらく、借金の形に引き渡されるとは思いも及ばなかったことでしょう。

 私も東亜子も祖父母のところにいたのに、その祖父母を襲って、学齢前の子を二人誘拐したのですね。

 私は何もわかりませんでしたが、東湖は母に騙された様子を語っていました。

 誘拐してしまえば戸籍はいかようにもなったのですね。

 そして、最後は殺害ですね。

 江戸川堤での様子を教えてくれたこの方は「老い先短いので、話しておかねばならない。せめて、洋ちゃんには

言っておかねばと、話してくれました。

 ありがとうございます。

 上の写真ですが、この場所は『男はつらいよ』で、渥美清さん演じる「寅さん』が、ここで写っています。

探し物

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 現在のところに越してきて、2,3か月くらいのときに、縁あって、雑種の犬を飼い始めた。

 その間、何度かちょうちんは私ども大人がいないときにやってきていた。子供だけが在宅の時を狙っていたよう

だった。

 「もう、江戸川のおばあぁを越させないで・・・だって、私を召使のように『お茶入れて』って、いろんなことを命令する

んだもん・・・それと、ダディちゃんや マミィちゃんの机やタンスをごそごそいじって感じ悪いんだもん!!」

 それなのに、娘はちょうちんにとって初孫だと思っていたから、江戸川の家にはよく連れて行っていた。

 ところが、ちょうちんは娘からは逃げ回っていたし、恐怖を感じていたようだ。そんなに嫌いな娘がいるときを狙っ

て、わざわざやって来る目的はなんだったのか私どもは気にしなかったが、ちょうちんの死後、江戸川の家を整理し

ていたら、我が家の家の権利証やら、土地登記簿やらが出てきた。

 ある日、仕事が早終わりして、家に帰ると、ちょうちんと、三女が子連れで来ていた。

 私どもの姿を見て、あわてて、帰ろうとする。

 「もう、帰るの?・・・ゆっくりしていけばいいよ。送っていくから」と言っても、三女は外に出た。仕方なく、我が家

一家で、駅まで送っていった。

 帰りの車の中で「もう、あの人たち、うちに越させないで・・・ほんとに私を召使みたいにして、ごそごそ民なんp机

やタンスなんかいじって感じ悪いんだから…」と言う。

 最初の雑種の犬が野犬狩りにあった後、コリー犬二頭が我が家族になった。

 こうして、2,3年経った頃だった。

夫婦愛

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 我が家がここに来てから、2,3年経った頃だった。ちょうちんは我が家にものをくれたことはなかった。それどころか、我が子を連れて江戸川の家に行って、幼い孫である娘が冷蔵庫の中に自分の好きなものを発見して、「食べたい」と、言ってもっちょうちんは決して食べさせはしなかった。その断る理由ふるっていた。
 「これはお姉ちゃん尾だから、だめだ」と言うのだ。『おねえちゃん』というのは三女のことである。成人して、結婚までしている娘のことを言っているのです。私の子はちょうちんにとって孫であるはずなのに・・・

 ここに越してきて、3年ほどした頃だった。
 犬を飼い始めて、最初の犬が野犬狩りにあった。その次にコリー犬の雌を飼い始めて1年もたたない頃、散歩途中に落とし穴にはまって、悪童どもに捕まり、私が発見したのは木の枝に後ろ足をロープで縛られ吊るされていたので、後ろ足が壊死して3本足になったので、相棒として雄のコリー犬を飼い始めた。
 つまり、新しい家族としてだ。犬を飼い始めてからはちょうちんも三女もあまり我が家に来なくなった。
 ちょうちんも三女も我が家の大人がいない時を狙ってきていた。ちょうちんも三女も我が家に電話など掛けてきたことはなかった。用事があれば、二女に命令して、二女から私の方に言わせるのであった。大概金の無心です。

 そうしたある日、「田んぼちゃん(二女の夫は農家の出身だった)のところから、お米を上げると言って、置いて行ったから、取りに来て」と言うことだった。

 翌日、取りに行った。
 市販のビニール袋に入っている大量の米をくれた。我が家の3人家族では、ほぼ、1か月の消費量だ。
 しばらく、買ってあった米を食べていて、ちょうちん経由できた二女の実家の米を食べようとしたのか少したってからだった。
 ところが、妻が洗米したところ異物が混入しているという。「なにか小さな粒々が入っていて、分離しようにもできないのよ。こんなに沢山あるのに全部に入っているのよ。どうしよう・・・・」
 
 かなり、長い間、考えてた。飢えを経験している私は捨てるという選択肢はなかったので、「大丈夫だろう」と言ったが、妻は長い間悩んでいたが、犬たちにやることになった。

 こうして、犬たちに豚のもつと一緒に煮てあげたら、喜んで食べた。

 「おいしそうに食べているから、よかったね」と、妻も言っていた。

 2歳と3歳のコリー犬の朝の散歩は私が自転車で2頭の犬は自転車について走っていた。

 ある朝、自転車の後ろについてきていた雌のダイアナが突然倒れて、こと切れた。

 私はダイアナの遺体を抱いて、自宅に戻った。呆然自失だった。
 そして、雄犬で2歳のチャールズは放心したように虚ろになって、食事をしなくなった。呆けたようになって、上を見ているだけだった。

 翌日、夕方、帰宅すると、チャールズは遺体になっていた。

 この話を近所や知り合いの皆さんにしたら、「チャーちゃんは、あんなにダイアナちゃんの食べ物を取ったりして、わがまま言っていたのに、ダイアナちゃんを愛していたのね。いなくなってショックだったのよ」と言って、みなさん、悲しんでくれた。

 そして、それから4,5日したら、ちょうちんから、2度目の電話があった。
 「どうしたの? こんなに朝早くから、いつも電話なんそしてきたことがないのに、何か用?」と言うと 「しばらく、連絡がないからどうしたのかと思った」と言って、狼狽している。

 
 




 

権蔵小屋

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 我が家の愛犬ダイアナとチャールズが亡くなる前にラッキーが、無心にやってきた。

 その頃、チャールズはまだ成犬ではなく仔犬といってもいいくらいでしたので、ラッキーにまとわりつきました。で、

ラッキーは異様に怖がったので、聞きました。

 「おやじさん、犬は嫌いですか?」と、

 「いや・・・嫌いじゃあないよ。 だって、わしはガキの頃、犬と一緒に寝ていたんだから・・・」と、

  
 ラッキーはどこで生活していたか、全く言わなかったし、ちょうちんも言わない。それどころかラッキーに至っては、

いわゆる学歴詐称をしていた。

 この項、追加します。

カエルの子は・・・

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 ラッキーが東亜子と私を攫ったのは、どんな理由か考えるときに、彼の出生について記さなければならないと思います。
 ラッキーはよく「四国に行くと村の古老に【ゲンさんの倅かよう似とるわ・・・】と、といわれる」と私に言っていた。
 それを第3婦人に言うと、「そんなことないでしょう!だって、あの人は四国に行ったことがないのよ。馬鹿馬鹿しい」と言う。
 
 東京に来てから、家にあった写真を整理すると言って、どこかに持って行った。

 私の祖母(母方)は、四国の美人の里といわれる村落でも美人と言われた。東亜子が殺害された後、祖母の村に行って、祖母についてたすねると「きれいな人やったわぁ・・・」と、祖母を知る方に言われました。
 その祖母が祖父と共に福岡に行って、祖父と新たに仕事を始めることになった。
 福岡には祖母の兄がいて、川筋者の親分をやっていた。
 そこに阿波の田舎から出てきた祖母が行ったのだ。祖母は川筋者の親分の妹である。しかし、美人の里で、美人の誉れ高い若き祖母は目立つ存在であったろう。
 川筋者親分である兄の支配下には「人さらい」を生業にしているものも多くいた。その中で白人様の容姿で、知恵遅れのブンがいた。
 親分の妹と知ってか知らずかわからないが、襲われた結果・・・だろう。

 女性は悲しくて、憎むべき男に似た子がわが子になってしまうのだった。

 その結果、祖母はラッキーを見ると蹴っていた。

 この蹴られたことをラッキーは私にもよく言っていた。

 このことを妻に言うと「そりゃそうよ。おばあちゃんかわいそうだったねぇ・・・憎むべき男に似た子を産んでしまうのよ。悲劇だよね。・・・それと同じようなことが満州からの引き上げの時もあったって言うよ・・・」と、

 それより、祖母の兄は川筋者の親分なのに、配下の者が妹に対して、そういう狼藉を働いても何もしなかったとすれば、フンは祖母の兄の縁者なのだろうか?

 ラッキーが祖父母の写真を始末してしまっていたが、ちょうちんの死後、ちょうちんが鞍替えの時の写真を発見したので、四国に持参して、祖父を確認した。
 「これはゲン叔父やわぁ・・・あんたによう似とったわぁ・・・」と、

 そもそも。戸籍は、こんな場合はどういうに記載されるのだろうか?
 ラッキーは何歳だかわかりません。というのも戸籍に記載されたのは生まれて何年後だったかわからないからです。
 祖母の実家にも祖父の実家にもラッキーの存在を知らせていなかったようです。

 


不倫の果てに

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 ラッキーが東亜子を攫ったのは若いころ、東京で借金を作っていたことによるものだが、私を連れてきたことは、単なる馬鹿養子として金を奪うのが目的ではないと思う。
 その前に、ラッキーが第一妻のところに行って、居候のようにしていたことを記します。

 ラッキーは第一妻と初めて結婚した妻です。第一妻の容姿ははぼ白人だそうです。ラッキーも白人と言って言い容姿でした。
 二人はかなり近い血縁関係でしょうね。
 ラッキーは学校も行かずに福岡でぶらぶらしていた若いころ、突然、どこかから金を得て、それを東京への旅費にして東京に出て行ったそうです。このことは私に金の出所を言わすに、東京に出てきたことだけを言っていました。
 どこに行ったとも言わないで、大学に入ったと言っていました。
 第一妻は栃木県の出身で、ラッキーが東京に出てきたときにはすでに結婚していた。もちろん、ラッキーとではなく、Nと言う同郷の方と結婚していた。ラッキーが上京した時にすでに二人の子がいたそうです。
 東亜子の死後、私は第一妻とNさんの息子さんにお目にかかりました。

 ところが、ラッキーはNさん宅に行き、第一妻と懇ろになってしまいます。そして、二人は遊びにうつつを抜かし、借金を作ってしまいます。

 借金に追われて、ラッキーは福岡に逃げ帰ります。ラッキーがいなくなって借金の取り立てが、第一妻にきたのでしょうか・・・

 ラッキーが私に言うには「東京から、突然、福岡にあれがやってきたんだよ。しょうがないから一緒になったんだよ」と言っていました。
 
 しかし、借金の取り立ては、やむものではなかったのでしょう。ほどなく、第一妻は東亜子を攫って、東京に行きました。

 私は東亜子の自伝と東亜子を受け取った人のお話を聞いて、この話は本当であると思いました。
 東亜子を受け取った方は「戸籍はちゃんとしたのね!」と、確認して小学校入学前の東亜子を受け取ったそうです。
 いずれにしても人さらいです。

 この時、東亜子を受け取った方は、もちろん、東亜子が第一妻とラッキーの子であるはずがないと知っていました。
 時に、東亜子は小学校入学の1か月くらい前だそうです。

同い年

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 ラッキーの第一妻はラッキーより一回り上です。つまり12歳年上です。

 第二妻であるちょうちんはラッキーより一回り下です。つまり、12歳年下です。

 ラッキーの第一妻と第二妻との年齢差は24歳です。

 このことを東亜子が殺害された後、第一妻の長女ですから、戸籍上、私と同じ東亜子の相続人です。

 東亜子の死によって、私は第一妻の長女と長男の存在を知り、長男とは面識を得ました。続いて長女の方に連絡を取ることができました。

 その前に第一妻と第二妻であるちょうちんとの年齢差は24歳であることは知っていましたし、第一妻の長女がちょうちんと同い年であることも知っていました。
 
 初めて、電話した時、
 「○○さんは、ちょうちんさんと同い年だそうですね。・・・」と言うと、
 「えっ まあ・・・」と言ったきり、絶句です。この言葉が彼女と交わした最後の言葉となりました。
 その後、東亜子の周りにいて九州で一緒だった人物にも会いました。この人物によると、第一妻の長女は私のことを九州で見ていたし、彼も私のことを知っていたようです。
 第一妻が東亜子を産んだとすれば48歳である。で、続いて私を産んだとすれば53歳です。
 「戸籍とは、物語であるから・・・」とよく三女が言っていたことが本当になってしまうので、ラッキーは一回り下のちょうちんであったのでしょうね。

 第一妻もラッキーも東亜子のときは借金の追われて、手ごろにできる戸籍だったのでしょうが、私の時は用意万端だったのでしょうか…



 

ご教示を

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 先の「同い年」の項で、ラッキーの第一妻の長女と私の母親になっているちょうちんが同い年であることを書きました。
 ここで疑問なのですが、

 第一妻の長女ではあるが、ラッキーの子ではなくて、第一妻の先の夫と第一妻の子であるわけですから、ラッキーとは親子関係はありません。
 だとすれば、ラッキーが第一妻と離婚後は第一妻の長女と婚姻関係を結ぶことはできるでしょうね?
 東亜子は第一妻とラッキーとの間の子として戸籍に記載されているのですが、私は第一妻の長女と同い年のちょうちんとラッキーの長男として戸籍に記載されています。

 どうか、よろしくご教示のほどをお願いいたします。

無理

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 徳島の山奥から出てきた祖母は、都会である博多で、襲われた。

 出来た子の戸籍はどうなるのでしょうか?

 ラッキーは私を攫った目的は祖父に似ているからでしょうが、いつも私にはこう言っていました。
 「わしが四国に行くと、よくこういわれるんだよ。○○(祖父の名前)さんの倅かよく似ているわ・・・」と言っていた。
 それを私はラッキーの第三夫人に言ったら、彼女は「そんことないでしょう。だって、ラッキーさんは、四国に行ったことがないのよ。呆れた」と、・・・
 
 なんとも、いわく言い難いです。

双子

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 福迫君がアメリカに移送されるときに東京高等裁判所で移送の可否について審判が行われ、私も傍聴した。

 そこで、私が福迫君の父上を見かけた。マスコミの方が注目していたので、あぁ この方が福迫被告のご両親だなとわかったのだ。
 しかし、母上は初めてだったが、父上は以前に何回か会ったというより、見かけた。いずれもラッキーと一緒であった。言葉を交わしたことはなかったし、私ども見ているようだった。
 ラッキーは不動産の学校ごっこみたいなことをやっていて、この講師として福迫君の父上が来ていた。
 「あぁ~そういうことだったのか」と思った。

 審判が始まって、福迫君が証言したことで、どういうことだと思ったのが、この証言だった。
 「僕は吾郎君とは親しくて、食事を作ってやったり、仲良くやっていたのに殺害するわけなないし、吾郎君と僕とは『双子の兄弟』と言われるくらい似ています」と、証言した。
 私はこの言葉に驚いた。
 私が被害者・吾郎を新聞やテレビで知った時、「なんとラッキーと似ていることだろう。どういうわけだろう」と思った。
 それに福迫君の父上と一緒にいる姿はまるで親子だった。私とラッキーが肩寄せあったことなどただの一度もないのに、あれは何なのだと思ったのに。

 吾郎も雷太君もラッキーも近い血族なのだろうか?

ホシ達

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 ★ 占い師・藤田小女姫がなぜ惨殺されたか・・・

 ★ 服役している福迫雷太氏でないというならば、どんな人物達がやった  のか・・・

 2点について考えると
 ちょうちんはいつも「ラッキーさんはあんたらの考えているような人ではなか! 何人子供がいるかわからないし、数えきれないくらいなんだから!!」を口癖だった。
 
 事件後、色入りな人物に会って、ラッキーの子があちらこちらにいると思えるようになった。ちょうちんの言っていたことは大げさではなかったと納得した。
 そして、その全部が戸籍がでたらめであるし、無戸籍であるかだった。
 ラッキーの戸籍に入っているのは誰一人としてラッキーの子はいないのであった。
 ラッキーも私どもにこう言っていた。「みんなに『この馬鹿親父!」』われてまいっているんだよ」と、
 
 生活できないラッキーの子達が東亜子のところに行って居候や金品をむさぼったりして生きていた。
 ところが、数多く子供たちはラッキーの子とは言え母親はいろいろいて、同じラッキーの子と言っても反りが合わなかった。

 福迫君や吾郎は仲が良かった。つまり、東亜子の資産を多くとっていたのだろう。みんな仲良くはできないのは当たり前であった。
 
 東亜子と吾郎をを殺害して、犯人として福迫君を・・・と言うわけであったのだろう。
 以上のように推測しています。


婚外子

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 明けましておめでとうございます。

 早いもので、藤田小女姫殺害事件から、20数年過ぎました。

 ハワイの裁判所から裁判記録を取りよせるためと被害者藤田東亜子の在外資産を日本国に移すために、渉外弁護士に依頼しました。
 その時に、弁護士さんたちは戸籍を見て・・・法務省の役人たちは『世界に冠たる日本の戸籍制度』と胸を張るけれどなぁ・・・と呆れていました。

 それから、少しして、日本通で、元米軍情報将校だったサイディンスッテカー氏にお目にかかった時に、・・・「戸籍がでたらめであったので、私は東亜子と異母弟だとばかり思っていたせいで、生前、会うことが出来ませんでした」と、・・・
 すると̪氏は「日本の戸籍?あれは出たらねです」と、流ちょうな日本語で、言われました。

 それから、この20数年の間になにか変化があったかと言おうと何もないような気がします。

 昨今、話題になったことですが、現在の戸籍制度では
 婚姻関係にある男女の間で、妻が婚姻関係でない男性の子を産んだ場合でも、夫の戸籍に入れるか、生まれた子を無戸籍にするかになるかですね。
 どうすればいいのでしょうか?

 皆様ご意見をお聞かせください。

大河ドラマ

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 今年の大河ドラマは幕末の鹿児島が舞台ですね。明治維新の勝ち組ですね。
 私どもの祖父母の出身地は四国ですから、土佐とはなにかと縁があったようです。
 明治になって、八幡製鉄に関係を持って、クラブの営業を任されたのも、こういうとこ    
ろからでしょう。
 祖母の兄は、北海道に渡り、その後、ロシアに行ったそうです。

 私は信じたくないのですが、祖母の祖父が土佐の…と言われて、いろいろ出かけていたので、祖母の父は京都で生まれて、今日の寺で、育って、そこから、婿養子に阿波来たとの伝えです。ですから、祖母の家は寺の隣です。
 日露戦争が始まって、ロシアにいた祖母の兄は苦戦していた日本軍に加勢して大活躍をしたそうです。
 東亜子が東京・江戸川から、東北に連れていかれのは、その時祖母の兄の世話になった方々だったそうです。
 このことは、東亜子亡き後、私は東北各県に伺い、いろいろ伺いました。
 

 

2月

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 もうじき2月ですね。
 祖父、祖母、姉・東亜子・・・は、すべて2月20日前後に死亡しています。
 祖父については、四国に行ってその状況を調べてきました。四国徳島から戸畑の自宅に帰ってきた直後死亡しています。四国から祖父母を送っていった甥が、普通の̪死はないと言っていたようです。
 私の記憶の始まりは、祖父の死の直後からだと思います。あれが2月だったのでしょう。
 寒く、雨が強いのか掘っ立て小屋の外で、「馬糞紙では駄目だ!トタンにしろ!」と叫んでいる男の声が記憶の始まりです。
 この時の状況を知る人に確認すると、私は祖母と一緒にこの権蔵小屋に押し込められていたそうです。
 権蔵小屋とは遠賀川沿いで生活するゴンゾウたちの住まいである。現在・観光用に若松に権蔵小屋があった。
 3鵜畳ほどの広さで、特徴としては床がないことだった。
 ここで、私は祖母と一緒に閉じ込められていたそうだ。叔父がダイワンから帰還して祖母を官舎に連れて行って、私は権蔵小屋に残された。
 叔父は私が生きてはいないだろうと思って祖母だけ連れて行ったようだ。
 この事を私は恨んでいないが、私がラッキーとちょうちんの子でないことは伝えて欲しかった。

親になって初めて分かる親心

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  私は日本国の戸籍を信じていたので、東亜子が殺害されて、自分の身分関係を調べて、戸籍上の父親になっていたラッキーと戸籍上の母親になっていたちょうちんとは何の関係もないとわかったが、幼少時代から小学6年まで過ごした福岡・笹栗の方たちは、皆さん、私がラッキーやちょうちんとは何の関係もないとご存知であった。
 しかしながら、誰も教えてはくれなかった。

 皆さん、そのことを教えるのが、いけないことのように思われていたのだろう。

 学生の頃、友人にお金を貸したことがあった。それを知ったちょうちんは、私の知らない間に、彼に返金を求めた。そのお金はもちろん私が稼いだものだった。
 かの友人はちょうちんのあまりのしつこさに負けて、全額をちょうちんに返金した。
 ところが、ちょうちんは金を受け取ったにもかかわらず、私にはそのことを言わなかった。
 私はそれから10年以上たって、所帯を持ってから妻に言ったが。妻は「もう、時効だからね」と言って、取り合わなかった。
 でも、私は時々思い出して、彼とは疎遠になって行った。
 今、自分が人の子の親になってみると、ちょうちんが親でないと痛いほどわかる。
 わが子はちょうちんが私の親でないことは子供のころから知っていて悩んでいた。

 皆さんは知り合いで、血縁関係のない親子がいて、子が騙されているような場合、教えてあげますか?
 
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